嘉来流・迷路講座


迷路全体の一望性と難易度の関係
 
 
ようこそ、嘉来的世界へ。
どうぞごゆっくりと、迷路の世界をお楽しみください。
このコラムでは、迷路全体の一望性と難易度の関係について、私の考えを述べてみます。
「嘉来的世界」の迷路は、ブラウザの一画面に丁度収まるぐらいの大きさで作成されています。ゴールの位置がわかるため、解く人は「何となくこっちに進めばいいんだろな」という感覚で解くことができます。また、このように迷路の全体を一望できることには、道に迷った場合でもいつでもスタートに戻れる、あるいはいつでもスタートからやり直せる、という安心感があります。

では、もし、迷路の全体が一望できないような状況になったらどういうことが起こるでしょうか。その答えは、難易度が格段に増す結果になります。

世界の庭園迷路のように、人間自身が動いて進む迷路を考えてみましょう。このような迷路の特徴として、全体像が見えないこと、ゴールの方向が分からないことが挙げられます。

壁の向こうの景色すら分からないという状況は、一種の恐怖です。ゴールに近づいているのかどうか分からず、片手を壁につけたまま進んできた場合でないと、スタートに戻れるかどうかも分かりません。何度も角を曲がっているうちに方向感覚が狂いだし、にっちもさっちもいかない事態になりかねません。(ここ数年、テレビゲームの3D化が著しいですが、そういうゲームをプレイしていて画面がクルクル回転して方向感覚が掴みにくいなぁと感じたことはないでしょうか。)

さらに、全体を一望できない場合は浮島構造がその力を発揮します。浮島とは、外壁に接していない壁のことです。その効用は、ゴールへの正解道順が増えること、同じ場所を周回させて迷わせることができることです。壁の向こうが見えず方向感覚も狂ってしまいそうな迷路においては浮島の「同じ場所を周回させて迷わせること」の効用が最大に発揮されます。

迷路内を進んでいてさっきと同じような風景に出くわしたときに、「円を描くように進んできたからここはさっきと同じ場所に違いない」と自信を持って察せられるでしょうか。果たしてこのように察っするためには、自分が今まで曲がってきた方向のほか、進んできた距離も記憶しておかなければなりません。進んできた距離も記憶しておかなければ、さっきの場所なのか新たな場所なのか判別できないのです。

このたび私は「 IFRAME迷路 」を作りました。この迷路は全体を一望できないようになっています。迷路構造の本質では「 小部屋迷路 」と変わりないのですが、迷路の全体像を把握できないばかりに格段に難しくなっています。(ただ、迷路図は2Dで、回転するわけでもないので、方向感覚が狂うことはありません。)この迷路では、浮島構造に悩まされることでしょう。是非挑戦して、「迷路全体の一望性と難易度の関係」を是非、実感してみてください。

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